笑うこと
2011年3月11日から10日。胸がざわつく感じが続く。自分の目で直接見ていた場所が被害に遭ってるのを見るのはいつでも辛い。
阪神淡路の時も新潟中越の時もそして今度の東北関東もいつも他人事の位置で、でも母の故郷であったり、当日車で通っていた場所かもしれなかったり、父の元職場であったり、通っていた小学校が避難所になっていたり。完全な他人事にはならない。
当事者にならなかったことを運がよかったと単純に喜んでも良いのか悪いのか。どの地域もそこを離れてかなりの年月が経ってはいるが一時でもそこにいたのは確かなことで、なんとも微妙な気分になる。新潟中越は住んでいたわけではないが何度となく通った場所であり、地震前日の夜に同行の友人から中止のお願いがなければ、過去の行動パターンからして地震発生時間に小千谷あたりを通行中だったと思う。また地震ではないが04年23号台風による水害被害地域にも住んでいたことがある。
と書き連ねていったら自分の家族と縁浅からぬ場所が次々と被害に遭っていってるようで欝になってきた……。いやいや、それだけ日本はどこに行っても自然災害とは切り離せないということでっ。
まあそれはいいや。結局当事者ではない人間がちょっと凹もうが平和なものです。
ただ今回の地震発生から4日目、ものすごくくだらないことに思わず声を出して笑ったんだけど、その瞬間に「あ」と思ったことがある。
気がついたら4日間全然笑ってなかったこと、そして声を出して笑った瞬間、何かがぽろりと落ちたような、そしてそこだけすうっと風通しがよくなった感覚。
基本的によく笑うし涙腺が弱くてよく泣くから今までわからなかった。
「笑う」って大事だ。
すごく大事だ。ふっと口端を上げて笑うような笑い方じゃなく、声を出して笑うこと。それが本当に大事だ。
どこかで辛い思いをしている人がいる。確かにその通りだしそれを忘れてはいけない。でもそのことと一緒に笑うことも忘れてはいけない。笑うことを忘れたらどうにもできない感情がぐるぐるしてなにもできなくなるから。笑って、心の風通しをよくして、前を見る。1日の何気ない日常を始める。
今回だけじゃなくいつかまた胸をぎゅっと掴まれるような思いをすることはいくらでも起こるだろうけど、笑うことを忘れない。忘れないためにここに書きとどめる。
余談だけど、忘れるってちょっと怖いことだと思う。どんな災害でも直接の被害が少なければいつか忘れる。でも今度の災害はダメージの小さかった首都圏にも影響を大きく及ぼしている。現時点で発表されているのは輪番停電(計画停電)は4月いっぱい続くとのこと。
正直停電は面倒くさい。でもその影でもっと比べものにならないほど大変な思いをしている人がいる。のど元過ぎれば……と言われるけど少なくとも4月下旬まで、噂では夏を過ぎる頃まではのど元を過ぎることはない。のどに引っかかっている現実を忘れない。
停電は色々面倒くさいけど、それは良いことだったんじゃないかな?